【鍼灸師の勤め】江島杉山神社と杉山和一先生のお墓に伺ってきた。

どうも、Mr.ハリックです。

『杉山和一記念館』の横に位置する江島杉山神社。杉山和一先生が祀られている。

略歴[編集]

津藩家臣、杉山重政の長男として誕生。幼名は養慶。幼い頃、伝染病で失明し家を義弟である杉山重之に譲り江戸で検校、山瀬琢一に弟子入りするも生まれつきののろさや物忘れの激しさ、不器用さによる上達の悪さが災いしてか破門される。

実家に帰る際に石に躓いて倒れた際に体に刺さるものがあったため見てみると竹の筒と松葉だったため、これにより管鍼法が生まれる(この話は江の島においては同地で起こった出来事と伝えられ、躓いたとされる石が江島神社参道の途中に「福石」と名付けられて名所になっている)。その後、山瀬琢一の師でもある京都の入江良明を尋ねるも既に死去しており息子の入江豊明に弟子入りすることとなった。

入江流を極めた和一は江戸で開業し大盛況となった。61歳で検校となり、72歳で将軍・徳川綱吉の鍼治振興令を受けて鍼術再興のために鍼術講習所である「杉山流鍼治導引稽古所」を開設する。そこから多くの優秀な鍼師が誕生している。綱吉との本所一つ目の話は有名である(#本所一つ目参照)。

和一は江戸にも鍼・按摩の教育の他、当道座(盲人の自治的相互扶助組織のひとつ)の再編にも力を入れた。それまで当道座の本部は京都の職屋敷にあり、総検校が全国を統率していたので、盲人官位の取得のためには京都に赴く必要があった。和一は元禄2年(1689年)に関八州の当道盲人を統括する「惣禄検校」となり、綱吉から賜った本所一つ目の屋敷を「惣禄屋敷」と呼び、これ以後、関八州の盲人は江戸において盲人官位の取得が出来るようになった。

【参照引用:wikipedia】

時の将軍、徳川綱吉の持病を治したといわれる杉山和一先生。綱吉から『何か望みはないか』と問われ、『一つでいいから目が欲しい』と答え、本所一つ目(墨田区千歳)を拝領する。

毎月熱心に江ノ島の弁財天に出向いていた和一先生。綱吉は和一先生を気遣い、この地に弁財天を建立。
そして、神社奥には、和一先生が断食修行を行なった江ノ島弁財天の岩屋を模したものも存在する。

 

杉山和一先生は、弁財天の岩屋に一週間こもり、断食修行を行なったと言われる。その後、岩屋から出た和一先生は石につまずき・・・(この後は上記略歴の通り)

後にこの地は、杉山流鍼灸導引稽古所となり、世界で初めての視覚障害者救育機関として、数多くの優秀な鍼医を排出した。

 

  
 
▼点字の案内板
 
 
▼学生さんに人気だというお守り
 

江島杉山神社
住所/〒130 – 0025 東京都墨田区千歳1-8-2 

http://ejimasugiyama.shin-to.com 

交通/JR両国駅より徒歩6分 

都営大江戸線両国駅より徒歩15分 

都営大江戸線森下駅より徒歩8分 

都営新宿線森下駅より徒歩8分 

 
近くには、杉山和一先生のお墓である、弥勒寺があるので、今回はこちらも伺わせて頂いた。毎年9月に、はり供養を行なっているので、ご存知の先生もいらっしゃるだろう。
 
 
 
 

 

弥勒寺
 〒130-0023 東京都墨田区立川1丁目4−13

 
※江島杉山神社より、徒歩10分ほど

知れば知るほど、鍼灸あんまマッサージ指圧業界に多大な貢献をされた杉山和一先生。今、我々がこうやって鍼灸を生業としていられるのも、杉山先生のおかげだと言っても過言ではないだろう。もし、近くを通ることがあれば、手を合わせてみてはどうだろうか。

では!

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